空蝉(うつせみ)

8月もきょうで終わりですね。

少し前からレッスン室の窓から見えていたものを撮ってみました。

画面の中に幾つのセミの抜け殻があるかわかりますか。

木の根元に大きな穴が2つもあいていました。

 

意外なことに、「うつせみ」とは「現身(うつしみ)」から来ていて、つまり現実に生きている人間のことを言うのだそうです。

生きている人間こそが虚しい存在であるという、仏教から来る逆説的な意味があるようです。

 

昨日、親しい友人の訃報に接しました。

同じようにピアノを学び、指導する仕事につき、そのほかにも文学や美術など、いろんな面で話題の合う、そしてユーモアも通じる、得難い友人でした。

合同で発表会を開いたこともあるし、コンサートで2人で連弾したこともあります。

闘病中であることも、緩和ケアに入っていることも知っていましたが、まだまだ電話すれば彼女の声が聞けるものと思っていました。

いつも勉強熱心で、手術の後でもステージに立って演奏していた人でした。

 

自分の未来を知ることのできる人はいません。

いま現実に生きている者として、一日一日を大切に生きていくしかありません。

 

少し遠方ですが、最後のお別れに行ってこようと思っています。