朝日新聞に「後藤正文の朝からロック」というコラムがあります。
昨日の記事が印象に残ったので、要約します。
3年ぶりに来日したアメリカのブルーグラスを基調とした「パンチ・ブラザーズ」のライブを見た。
(ブルーグラスとは、アメリカ南部に移住してきたアイルランドやスコットランド系移民の音楽とアフリカから連れてこられた黒人の音楽が融合して生まれた、アコースティックなストリングバンドだそうです)
マンドリン、ギター、バンジョー、フィドル、ウッドベースの5人組が、ステージ中央の1本のマイクを囲んで演奏した。
ソロパートを弾く楽器がマイクに近寄ると、他の楽器はマイクから少し離れる。立ち位置はそのままに前後の関係を入れ替え、各自が強弱をコントロールして、全体の音量を整えながらコンサートは進んだ。
音の大きな楽器や歌声が、爪弾かれるバンジョーやマンドリンの音をかき消すことなく、すべての楽器の音が客席に届いていた。
小さな音や弱い音にも意味があり、存在する場所がある。
僕らの社会はどうだろうか。弱い音や小さな声がかき消されない社会は、豊かなのだろうと思った。
ぜひ演奏を聴いてみたいと思ってYouTubeで探してみたら、あったので聴いてみました。
とても優しい、温かい響き。
「ブルーグラス」という言葉は聞いたことがありますが、どんなものなのか知りませんでした。
電気を通さない、人の肉声のような、そしてそれぞれの音を丁寧に聴き合うことで緻密に精巧につくり上げていく音楽。
大変な労力や、メンバーそれぞれの熱意と努力を要するものですが、そこに喜びや幸福感が生まれ、いろんな攻撃や衝突を繰り返す私たちの社会に対しても何か大きなヒントを示してくれているような気がします。
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