カーテンコールのあとで

先日、スタニスラフ・ネイガウスについて書いて、その子供であるスタニスラフ・ブーニン(Stanislav Bunin)のことにも触れたのですが、書いているうちに、ゲンリヒ・ネイガウス、スタニスラフ・ネイガウス、そしてブーニンと三代続いたピアニストの家系で、彼らが共産主義体制の旧ソ連で、どんな思いで音楽家として生き、ブーニンの亡命につながったのか、改めて知りたくなったので、この本を読んでみました。

初版が平成2年となっていますから、ブーニンファンの人たちからすれば、「いまごろ?」という感じかもしれませんが、私自身はショパン・コンクールのときの演奏に確かに目を瞠ったのですが、その後のキレキレだけどちょっとユニークな演奏は少し私の好みと違うので、こういう著書があることも知りませんでした。

 

というわけで、密林さんで探したら中古本でありました。

読んでよかったと思います。

面白いなと思うのは、彼の音楽同様、文体もちょっとユニークで、人によっては読みづらく感じるかもしれません。

 

でも、ソ連にいたころの政治体制や彼を取り巻く社会に対する気持ちが非常に率直に書かれていて、そういう意味でも非常に興味深いものでした。

 

コンクール後、プロパガンダに利用されそうになったり、国外への演奏旅行に出るのも非常に不自由で妨げようとする人たちとの闘いがあったり、コンクールに勝ったら勝ったで苛酷だったんですね。

やっと海外に出るたびに、お母さんからは「帰ってこないほうがいい」と言われていたけど、お母さんをソ連に置いて亡命はできなかったんですね。

 

やっとお母さんと一緒の演奏旅行が許されたとき、西独で監視の目をかいくぐって支援者の車に飛び乗って逃走するところは、まるで映画のワンシーンのようで緊迫感がありました。

 

お父さんのS・ネイガウスについても触れていて、両親が別れた後、ブーニンがネイガウスと会う機会があったのかはわかりませんが、敬愛の念は窺うことができました。

何だかちょっとほっとしたというか。私、親戚のおばちゃんじゃないんですけどね(笑)

 

「父は悲観主義者で、小さな心の精神的痛手が積み重なった結果、自分の殻に閉じこもるようになってしまった」というような表現で書かれていました。

確かに、私がレッスンを受けた際も、音楽に対して非常に真摯な印象を受けましたが、レッスン前にサインをしてくださったときも、レッスンが始まってからも、終始笑顔は見られませんでした。「ネイガウスは神経質な人だった」と言う人もいるようです。

 

ブーニンは、日本人の女性と結婚しているんですね。

数年前にブーニンが「徹子の部屋」に出たときに見ましたけど、日本の食事、特にタクアンが大好きで、いつも冷蔵庫に常備してあると言っていました。

とても知的で優しい紳士という印象でした。