マレー・ペライアについての記事のところで、ホルショフスキの名前を出したので。
ミエチスラフ・ホルショフスキ(1892~1993)
ポーランド生まれ。母がショパンの直弟子ミクリに学んだピアニストだったそうです。
母の指導を受け、幼いころから神童と呼ばれていました。
得意なレパートリーは、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン等。
ソリストとしてだけでなく、チェロのカザルスの伴奏者としても知られ、ヴァイオリンのシュナイダーと3人でトリオを組んでも活躍しました。
初来日は、1987年、95歳のとき。お茶の水のカザルスホールの落成記念で2日間にわたってコンサートをしました。
1992年、カーネギーホールで百歳の記念のコンサートが予定されていましたが、直前でキャンセル。翌年、心臓麻痺で死去しました。
生前、テレビでも晩年のコンサートや密着取材の様子が放映され、演奏を聴きましたが、当時はほとんど目が見えなかったようですが、多少のミスタッチはあっても、若々しい感性で、まさに音楽の神髄のような演奏でした。
取材では、ビーチェ夫人の献身が印象深かったですね。まさに目になり杖になって、寄り添っていました。
2人が結婚したのは、ホルショフスキ89歳、ビーチェ(ベアトリーチェ)夫人48歳のとき。夫人もピアニストで、毎年ルツェルンの講習会でホルショフスキがレッスンをするときのアシスタントを務めたことが2人の絆を強めたようです。
私は、夫人がホルショフスキへの強い尊敬の念から、彼を支えたいという思いで結婚したのだと思っていました。もちろんそれも真実でしょうが、インタビューの中で夫人は、「プロポーズされた後、彼はアメリカ、私はイタリアへと別々にコンサートに向かったのですが、列車の中で本当に嬉しくて嬉しくて夢を見ているようでした」と、少女のように語っていました。
ホルショフスキは、ピアニストとしても、私生活でも幸せな人生だったでしょうね。
そして、聴く人たちも幸せにしてくれたのですから、まさに最高の生き方ですね。
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